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わたしの悪いクセ

わたしの悪いクセ。

とにかく、早さが勝負。
待つのが苦手。
結果は早く出したい。

拙速。いらち。視野が狭い。

これって、間が怖い放送マンにピッタリ。

だから、この仕事をしてるのか、
リサイズされて、こうなったか。

20年間、1分1秒フレーム単位で生きてきた。

そんな私を戒めてくれるもの。

お香。

燃して、立ち上る煙を見ていると、時間が見える。

時間が、燃えている。

あぁ、時間って、ゆっくりゆっくり進んでいるんだな。
動いていない様に見えても、確実に前に進んでいる。

スタジオで、時計の秒針で可視化される時間とは、また違った密度。濃やかさ。


あぁ、自分の時間軸だけで、世の中を計ることは、やめにしよう。

前に押す力が活きる時も、
少しずつ少しずつ、間を詰めていく力が活きる時も、
両方のフェーズは、並行していて、どちらも正しい。

残された時間はあまりないから、早く、早くと、もう思わないように。

温めて、抱きしめて、湿らせて。

そんな時間の進め方を、
愛おしいと思いたい。

だいじな事は、いつも後から見えてくる。

故人の思い出

亡き人の思い出のお店に行きました。

故人の会社の裏手にある、表参道の焼き鳥屋さん。
晩年、食欲が無くなってからも、よく通われていたお店らしい。

連れて行ってくれたのは、故人を間に挟んで、ご縁があったすてきな女性。

以前から、個人的な時間を持ちたいと思っていたんだけど、
やっとゆっくり話す機会が、もてました。

年齢を重ねるごとに、「女性」と「近似値同業者の先輩」の友人関係の重要性を感じます。

いろんな話をしました。
そんな時は、話の内容は覚えてないもんです。
いろんな話をゆっくり、ゆっくり。

そうやって、ココロが近づく事、結ばれて行く事を実感できる時は、本当に幸せです。

ああ、私は、ひとと一緒にいること、ひとをすきになること、関係を結べる事がとても好きなんだな、と思います。

「ひとの心を解きたい」と言った事に対して「いいね。由香さんのキャラにあってる」と太郎さんは言ってくれました。

女性であれ、男性であれ、どんな関係であれ、そんな存在でいたいのです。
あくまで、理想。努力目標ですが。

太郎さん、またあなたのお蔭で、世界が広がりました。
そうやって、いつも見てない様で、しっかり見てる。
ちょこちょこ存在感を出してくるんですね。

次は、どこで、あなたを感じるんでしょうか。

緩やかに、穏やかに、いい時間を過ごしました。

「画」のチカラ -「福島 飯館村の四季」によせて

私は、カメラマンに嫉妬する。

しゃべり手である私は、見たもの、感じたもの、考えた事をことばを使って伝える為に、現場にいる。

ことばを紡ぐ為には、様々な作業が必要だ。
その場でキャッチした事を、頭の中で言語化し、自分のボギャブラリーの中から、(本当に貧弱な中から)最適と思われることばを選び出し、構成を考え、発する。

だが、ことばとは、限定的・断定的な伝達手段なので、はまる時はスバラシイ持っていかれ方をするが、そうでないときのハズシっぷりは、恐ろしい

極めて繊細な感覚で、伝えるべきものをキャッチしたとしても、表現が鋭敏すぎては万人には届かない。

「トランスレーター」(通訳者)の様な心持ちで、より分かりやすく物事を伝える為に、その手段を吟味しすぎて陳腐になり、結果、誰の心も動かさないという事も、しばしば起こる。

しかし、カメラマンはどうだ。
カメラを回す。もうそれだけで、全てが伝わってしまう。
勿論、積み上げた技術、磨かれたセンスの賜物であることは、重々承知の上だが。

すばらしいカメラマンと組んで現場に立つと、下手なリポートも、飾ったナレーションも、媚びたコメントも、何も要らないと思うことがある。
モニターを見ながら、黙りたくなる。ことばを失う。

「画」そのものの持つ圧倒的な力。そして、カメラマンの「目」。
同じ場所に立って、同じものを見ていたはずなのに、切り取られた世界に愕然とする。

「ああ、この人はこんな風に、あの場所を見ていたんだ」
「この人の見た世界はこうなんだ」と。

そこにカメラマンの意思(作家性)が宿りながらも、「画」の持つ力はとても広義であり、多面的だ。
受け手の心のどの部分を震わせるかは、その人、その時によって違う。まるで音楽の様に。

その懐の深さに、ただひたすら憧れる。
テレビの仕事をして20年近く。長年心の中にあったそんな思いを掘り起こす、一冊の本に出会った。

「福島 飯館村の四季」烏賀陽弘道 著。(双葉社刊)

朝日新聞の記者出身で、多くの著作において、正確かつ分かりやすい筆致で、冷静に世界を切り分けていく。
そんなペン記者のプロ中のプロが、初めて刊行したフォトブックだ。
開けば、そこにはことば(だけ)にはない説得力がある。
あえて、ことばで全てを語らず、世界を切り取る視線に思いを込める。
そこに広がる光景は、美しい。とても美しいのだ。一見。

この本をより深く理解する為に、併せて読みたい本がある。
飯館村 村長 菅野典雄氏が書かれた「美しい村に放射能がふった」(ワニブックスplus新書)だ。

今年の3.11を迎える時、メディアの喧噪から離れて、関連の著作を読んで過ごそうと思い、手にした一冊だ。
ことばでは語り尽くせない惨状。
これだけの思いを、人生を、原発は一瞬にして破壊した。

どうしていいのか分からない。自分が「伝える仕事」をしているからこそ余計に、本来なら広く伝えて知らしめたいのに、その手段を持たない身としては、歯痒くて仕方なかった。
ジャーナリストである烏賀陽氏は、見事にそれを表現した。さすが!の一言である。

美しさの裏にある、静けさ。
美しさを構成する、自然の力強さ。
美しさがもう二度と還らないのだという、切なさ。
美しさを地球上のどこにもない異質なものに変えてしまった、人間の愚かさ。

何が、これを、引き起こしたのか。
誰が、ここを、そうさせたのか。

この本をめくる度に、著者の狂おしいほどに震えた心に共振する。

今、何が起こっているのか。
この国の国土で、何が起こってしまったのかを、一人でも多くの人にまず、感じてもらいたい。

すべては、それからだ。

サイト、更新中!

すみません!お知らせしてませんでした。
今、サイトを更新しています。
もうすぐ、すてきサイトが出来上がるはず。
写真も、いいんですよ、これが。

本当は書きたい事、いっぱい在るんですが、もうちょっとだけお待ち下さいね。
では!!
吉見由香

ボーイング787 !

今日は、大阪への移動日。

新幹線が苦手なワタクシ。
最近は、大好きな夜行バスに乗る時間も余裕もなくって、もっぱら飛行機。

今日は、出発時間を1時間遅く勘違いしていた!!なんて笑えない失敗もました。
まあ、空港に早く行って、ご飯食べて、なんて思っていたので、セーフでしたが。

そして、搭乗口で待ってると、アナウンスが。

「1300発の当便は、ボーイング787の機材を使用します」
え?まじ???

別に飛行機マニアではないのですが、機影にて機種とか言い当てられませんが(友人、知人にそんな人がちらほら)やっぱり嬉しい。

で、乗ってみました、新機種787。

なんかねー、飛行機に乗ってる感がしないの。
いい意味で。

昨日の嵐の影響を受け、飛行機が揺れまくり。
お茶サービスもほぼなし、の状態。
でも、なんだか、怖くない。この恐がりの私が。
なんていうんだろう、天井が高かったり、窓が大きかったり、と視覚的に飛行機に乗っている感覚がないんですよねー。

だからか、揺れても(結構、揺れた、一番揺れたかも)、怖くなくって、ふーん、揺れてるわ、ぐらいな。

きっと、本質的に従来の「飛行機」環境ではないのを身体が感知していてるんでしょうね。

これは快適です。長距離、飛んでみたい。

毎回楽しみにしている機長アナウンスも、今回はなし。
CAさんからは、「揺れますが、大丈夫です」というアナウンスは、4回くらい入りましたが。。。。

これから、787 探して乗ってしまいそう。
楽しかったな。
早速、飛行機好きの知人に自慢メールを送りました(笑)

あ、機体に787って書いている塗装は、今だけで、3号機くらいからは、通常塗装になるそうです。

787.jpg

あ、この写真は、先月、空港に駐機されていた 787。
実際乗ったのは、いいショットがなくて、こっちを採用。

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