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2013年3月

リスナーのみなさまへ

ラジオを聞いて下さっていた皆さん、本当にありがとうございました。

んー、何をお話すればいいかな。。。と悩んでいますが、

 

今は、とにかく、リスナーの皆さんへの感謝しかありません。

どんなつらいときも、「リスナーの皆さんと、話している」と思って、皆さんの事を思い浮かべて、頑張って来られたからです。

「キラキラ」の小島慶子さんに、瀧さんが言った一言を思い出しつつ。

 

もしかしたら、金曜から皆さんが抱えている思いは、私が以前感じた思いと同じかもしれません。

私が大切にしたいもの、それは「モノをつくる仲間への思い」と、「聞いて下さっているリスナーさんへの思い」そして「ラジオマンとして、ラジオへの愛と誇り」です。

これらが共有できないと仕方ないですよね。公私混同もしたくなかったですし。

番組は、スポンサーさん、リスナーさん含め、営業さんやスタッフみんなのもの。一人だけのものでは、ありません。

バンドで言うと、いわゆる「音楽性の違い」による脱退、みたいな(笑)

 

金曜を終えて、たくさんのメールやメッセージが届きました。

でも、ラジオ日本さんは、嫌いにならないで下さい。

泣いてくださった方、金曜の同録を聞いて「最後の最後迄すみません」と言って下さる方、「僕が冷静になったら、ゆっくり社外でお話しましょう」と言って下さる方。

先に挙げた3つの志しを同じくする方が、大勢いらっしゃるのです。

次はこう言ったラジオマンと組んで、もっといいラジオ番組、リスナーさんをきちんと大切にする番組を作れれば、いいですね。

いい番組は、リスナーさんが育ててもくれますし、ね。

 

目に見えないものでお商売している以上、信頼関係がないとなりたちません。リスナーさんを結果的にだます事になることもあり、本当にごめんなさい。つらかったです。

今回、メッセージやお手紙をいただいて実感した事は、「私ッて、結構愛されてたんだなー」(笑)ってこと。

自分が主導でやってきた番組でもなく、関西時代の様に、地域で大きな聴取率を取っている訳でも全くなく、自分自身、番組のウリポイントやターゲットに非常に悩みながらだったのですが、

それでもこんな短期間で、全く仕事をした事ない方含め、リスナーさんからもアツいメッセージを頂けた事。

20年近くこんな仕事していても、今回が初めてかも。

本当に嬉しいですね。リスナーさんには、私のどこを気に入って下さったのか、一人一人聞いてみたい(笑)。

本当にありがとうございます。

もう終わった事なので、興味がないと言えば興味がない。うん、ないな。

とりあえず、崩れた生活を立て直す事と、念願の旅猿的海外旅行に行く事(スケジュールが決まらなくて、難儀中。行けるのか?)等々、結構、諸々ばたばたしております。

 

しばらくOAにのらなくても、私は私なんで、全く変わらず、毎日、過ごしていきます。

できなかった事をやったり、逢えなかった人とあったり。

ラジオなんて、引き出し勝負だからさ。

 

私の思いは、金曜日にもかけた「さくら」森山直太朗が、1000%そのままです。

これを聞いて、私の思いを感じて下さい。

では、また。

【さくら】

さて、今日は、ここで一つ、みなさんにお知らせがあります。

本日をもちまして、私吉見由香は番組を離れる事となりました。

短い期間でしたが、最後迄、ラジオをお聞きのみなさんと向き合う事を、良くも悪くも大切にできた時間でした。

今後は、どんな形であれ、「人の心に灯りを灯すことば」を「人の心に届くことば」を発信していけるよう精進していきたいと思います。

 

今日迄黙っていて、本当にごめんなさい。

 

胸を張って、番組を離れようと思います。

 

私の思いは「さくら」森山直太朗に、すべて。

BOOWY フィルムコンサート

回顧主義ではなく。

25年前の、BOOWYの解散ライブの映像上映。

中学生の頃、浴びるようにBOOWYを聴いてきた。

一昨年の全編BOOWYの氷室京介のライブも行った。懐かしのナンバーを熱唱、熱唱。

COMPLEXも、もちろん行った。
BOOWYというより、吉川晃司ファンの私は、布袋寅泰と吉川晃司二人の共演に心踊らせた。

年度末の一週間のみの上映の今回。この忙しい時に‥どうしようかな、でも、やっぱり、いっとかないと、三つ揃えたいもんねー、と、何となく義務感で足を運んだ、今回のフィルムコンサートだった。

最後の最後。
ドリーミングの前。
アンコールのMC。

四人で四人でしか出来ない音楽をやってきました。
これからは、四人でしか出来ない音楽をやってきたように、
一人一人で、自分たちにしか出来ない音楽をやっていこうと思います。

25年経った今。
どうだ?

みんなそれぞれ舞台のちがいはあるにせよ、それぞれの音楽を奏でている。

彼らの表情に見て取れるように、自ら築き上げて来たものを、壊したり、辞めたり、離れたりする事はとてもつらい。
身を切られるような思いだ。

しかし、目の前には大きな未来が開けている。

今以上はないかもしれない、なんて誰が決めた?

目の前に広がる大海原に、のまれてしまうのも、荒波を越え、新たな地平に辿り着くのも、本人の意思と勇気次第。

身を以て、それを、希望と勇気を示してくれた、すばらしい先輩達。

さぁ、どうする?
大海を恐るな。

そんなメッセージを感じながらの二時間だった。

番外編)
しかし、ギターリスト・フェチな私。
ギターリストと結婚しなくて、本当に良かった、なんて思いながら。

しかし、若かりし頃の布袋さん、いいねー。

震災二年に寄せて

震災報道に関わり、精神的に大きな影響を受けた記者、ディレクターや、阪神も含めての被災者の姿を少なからず見てると、気持ちの入っていない震災報道には、完全拒否感。
じゃ、やらんでええよ。任じゃないんやろうし、と思う。

私が取材した阪神大震災の被災者や、お話を伺った原発作業員。あの方の前には中途半端な気持ちでは、立てない。突きつけられた。

「お前は俺らを飯の種にしたいだけなんか?」と。その本気と同じ熱量じゃないと、本気は話してくれなかった。
そこは敏感に感じとられた。

先日、仙台からの生放送を企画したプロデューサー氏と、その事を立ち話。
なぜ企画したのか、どれだけ時間とアタマを使って仕込んでいるのか、何をしたいのか、短時間のうちに伝わってきた。

何事もなかったかのような東京の生活。風化は怖い。

でも、だからこそ、中途半端では失礼極まりないと思う。

だからこそ、演者・制作者が、それぞれの本気を持って、震災報道に関わらないと、中途半端なものになる。
ぺっらぺらな心持ちは、リスナーにはきっちり伝わる。

普段から、そのアツサをちゃんと感じ取る人たちだから。

だから、そこを感じるリスナーは、演者、制作者と同義。一緒に番組を作っている。

そして。もうひとつ。
そのプロデューサー氏は「僕らは阪神の被災者の事は忘れてしまって何もできなかったから」。

身近な人の痛みを自分の痛みに。そして、同じ経験をした人の痛みを自分の痛みに感じる事ができる。それを、社会的役割な仕事に落とし込める。

芯の通ったラジオマンで、ありたいと思うし、そんなラジオマンと共に仕事をしたい。

 

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