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「テレプシコーラ ー舞姫」山岸凉子

とうとう読了しました。
2007年、第11回手塚治虫文化賞マンガ大賞した、大作。

今、柄にもなく「バレエばか」な私は、もう読み進むのがもたいなくってもったいなくって。。。

バレエの先生にお借りしたのがこの作品との出会いです。
5巻までお借りして。
もちろん、これまた名作の「日出る処の天子」ファンだった私は、この作品の存在は知ってましたが、なんかオーラが重いような気がして、手が出ませんでした。
バレエ好きとしたら、やっぱりロマンチックムードにひたりたいやん??

でも、おもしろくって、おもしろくって、先生からお借りしたのを返却したあと、Amazonでやってしまいました。オトナ買い。
いろんな店舗で買っちゃって、先に最終巻がきて、帯に超重要な情報があって、ネタバレに悶絶しました。これは、今後の課題です。要注意。
terepushiko-ra.jpg

ああ、バレエ、踊りたい。

でも、バレエの怖さ、真実を見せてくれる作品です。
中3になって、一緒に頑張ってきた仲間が「プロになれないわ、学歴ないわって、悲惨だもんね」と辞めて行くシーン。

背が低いのも、高いのも、足が短いのも、顔がかわいくないのも、二重関節ではないのも、自分の責任ではないし。

みんな日本中のエリート中のエリートなんだな。
心して舞台をみよう。

1部を読み終えて、号泣。
でも、2部。

「えー!!終わりなん!!」と絶句。
絶対3部もあるよね??
空美ちゃん、どうすんの???

コレで終わりやったら、あかんわー。
山岸先生だからこそ書ける、真実のバレエ漫画を描ききってもらいたし。

あ、関係ないけど、表紙のバレエ衣装のすてきさは、厩戸皇子に通ずるよねー。うっとり。

今日のひとこと

今日は、FM OSAKA の収録でした。

今回のゲストお一人目は中村あゆみさん!
ちょー!!かっこいいー!!
ねえさん、付いて行きます!!!

詳しくは、OAをどーぞ!!

そして、お二人目のゲストは、杏里さん!!

杏里さんの言葉で、「作り手はぶれちゃダメ」
はー、しみますな。。。
「30年以上、チーム杏里で走ってきて。。。」って言葉も重い。

「チームワークができない100点の人より、チームワークを分かってる80点の人を採用する」と、選ぶ側かつクリエイターの夫の言葉と相俟って、ずしーんとしみる一言でした。

詳しくは、OAでよろしくねん。
FM OSAKA IPS COSMETICS presents 「charmy」

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かなしい日 〜 師匠のお葬式

今日は、昨日とは違って、オフィシャルな日。

仕事帰りの昨日と違って、今日は、ちゃんと正式な喪服に身を包み、ちゃんとしたかっこで行きました。
ほら、太郎さん、そういうことにはうるさかったし。

でね、今日は、非常識にならない程度にちゃんとお化粧して行きました。
だって、あの人、べっぴんさんが好きだったし。あはは。

弔辞。
お焼香。

今日は、泣かない、って決めてました。
まあ、無理だろうって思ってましたが、せめて、ちゃんとしてこの場に存在していたい、って。

だから、お焼香でご遺影の前に立った時、悔しくて寂しくて辛くて、やっぱり涙が溢れてきましたが、がんばって笑顔でご挨拶しました。
太郎さんの記憶の中にいる私が、あのとき誉めてくれたべっぴんな笑顔でありますように、って。

ご出棺の前の最後のお見送り。
お花を手向けますが、それは辞退しました。

だって、私の記憶の太郎さん。
あの時の記憶の笑顔、表情で、止めておきたいから。

お見送りして、帰宅。

あの方らしいすこーんと晴れた、ザ・夏な青空が広がったお昼間とは一転、東京は記録的な豪雨、雷雨に見舞われました。

ちょうど天に還って行く時間だったでしょう。

予報通りだったとはいえ、
太郎さんらしや。

「無念だったろうな」なんて軽々しく思わない。
あの人の無念さなんて、他人には絶対分からない。
やりきったとか、悔いがないとか、絶対思わない。

冷静に着々と判断しながら、
最後まで最後まで、葛藤していたはずだ。
闘っていたはずだ。
病気と。社会と。自分と。

最期の一ヶ月間に交わした言葉の端々に、太郎さんの本音が隠されている様な気がする。今となっては、だけど。

夕方の雷雨。
雷鳴を聴きながら、太郎さんの最後のメッセージに思えた。
「お前ら、ちゃんとやれよ!」「夢を忘れんなよ!」「死ぬ気でやれよ!」
私たちに伝えてるんだ、と思った。

雷を聴くたびに、太郎さんのことを思い出すだろう。

「覚悟はしていたけど、こんなに早いとは思わなかった」という私に、
夫は「延命で、そういう生き方してないから、早いかもとオレは思ってたよ」と。
その後もいろんな見方をしめしてくれた。
オトコの事はオトコに聴くに限る。

この早いご逝去。
でも、太郎さんは私たちを通して、確実に6000人の人生を生きたし、
6000人にあの人の命を分けてくれた。
私は、確実にそうだ。
太郎さんが命をかけて教えてくれたことが、私を生かしている。

私から、今、師匠に伝える事は
「次、生まれてくる時も、同じ時代に生まれて、同じ場所で生きて下さい。
“オレがいないとダメなのかよ”と叱られつつ、やっぱり影響を受けて生きて行きたいです。それまで待っていて下さい。」

もう甘えは許されない。
前進あるのみ。

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かなしい夜 〜 師匠のお通夜

FM OSAKAの収録後、師匠、杉村太郎さんのお通夜へ。

表参道で時間待ってる間、熱がでてきて、普段なら帰るくらいだったんだけど、頑張って行きました。

身体と精神が、太郎さんの逝去を拒否しているのか、、、

でも、なんか行って良かった。
本当に、行って良かった。

会葬御礼には、「アツイコトバ」が。
最後の最後まで、必死になって、自分の思いを伝えようとする。
うん、らしいよね。

ここで、昔お世話になった方とも、久々にお目にかかれて。

哀しいけど、私たちが頑張るんだ、って、気持ちをしっかり持てた。

太郎さん、何度か、オクサマ自慢(笑)をされていたから、どうしても奥様にその事を伝えたくって。
もちろん、そんなこと私がいまさら言なわくっても、十分ご存知だと思うけど、「お早くお願いします」という無情の促しの中、ご立派にお見送りされている奥様に、一言お声がけする事ができました。

本人から直接言われるのと、この場で直接知らない会葬者から言われるのと、また意味合いが違うだろうし。。。

帰って、ひとり精進落とし。

太郎さんと初めての出会いは、青山のシュラスコだったなー。。。
明日。明日。もう一踏ん張り。。。

【訃報】ジンセイ最大の恩師 杉村太郎氏ご逝去

杉村太郎氏が亡くなった。

氏は、私のジンセイ最大の恩師である。

学生時代。
KBS京都時代。
何度もお会いして、いろんな話をさせて頂いた。
彼と出会わなければ、局アナになれてもないし、この年まで現役でもないし、結婚もしてないし、全く別人格のいやなオンナだったろう。

氏が、いや、師が、ハーバード ケネディスクールに留学してからは、お会いする事はなかったが、

実は、先月ある課題に取り組む為に、師に改めてお世話になっていた。
7月。
AOビルに移転し「ひさしぶりー。連絡もらって本当に嬉しいよ。冬に移転してね、いいでしょ?ここ」って微笑む太郎さん。

私の無理なお願いは本来はイレギュラーなもので、我究館事務局からは断られていた。
師は「オレ、身体あいてるよ。由香さんはオレがみるよ。問題ないでしょ?」といって下さった。

恐らく、恐ろしく体調が悪かったのだろう。
できの悪い私の課題を青ペンを握りながら毎日毎日指導してくれている中で、
自身のデスクから「くそ!」っと声が何度も何度も聞こえてきた。

私は全くできてない自分の課題に「こいつ、何回いってもわかってないなー」と思われてると思った。(びびりすぎ。。。失笑)
でも、自由にならない自分の身体に言っていたのだろう。

わがまま勝手な私のお願いに、昔と変わらず、会社の休みなど関係なく身を削って、心を注いで下さった。

病床の中で、電話を頂いた先月末。
師が私におっしゃった言葉は「これからだから」

そう。これからだったのだ。
私も。太郎さんの指導のもとの”3億円プロジェクト”も。
もちろん、太郎さんも。

私は、太郎さんが直接的にこの国を変えてくれるのを待っていた。

毎回、選挙があるたんびに、候補者に取材をしたり投票したりする時に、
その時を心待ちにしていた。

未明に連絡が入った。


関係各所に連絡しながら、
セレモニーに参加する準備をしながら、
彼から頂いた言葉を、思い出せるだけ思い出した。

まだ気持ちの整理はつかない。

そんなもの一生付かない。

でも、ご縁は不思議。
太郎さんの最後の一ヶ月、10年以上の空白の時間を経て、あれだけ深く関わっていただけたこと事に、ちょっとオトナになった私をみていただけたことに、不思議を感じる。
めちゃめちゃご縁の深かい方なんだ。

まだまだ終わりでない私たちのプロジェクトのお礼は、まだ伝えていない。
結果がでたら、映画「おかんの嫁入り」のDVDと奄美大島の名産品をプレゼントする約束だった。

「オレね、大好きなんだよ。奄美大島」って。
私が奄美大島の血統と知った時「あー、だからねー」と微笑んだ太郎さん。
壮絶、という言葉をつかった太郎さん。

骨折しながら現場に立っていた私を「知ってるよ。」って笑っていた太郎さん。

「すばらしいね、すばらしいね」、と何度も何度も誉め過ぎくらいに誉めてくれた太郎さん。
そんな事するから!!!もー!!!
叱って欲しかった。
もっとシビアに叱って欲しかった。

人の寿命は変えられない。
なんでここまで「レジェンド的なヒーローを演出するんですか!!!」なんて言って差し上げたい。
どうしていいのか、正直、本当にわからない。

でも、でも、あの最後の一ヶ月、私の手帳に「太郎さん21時」と書き込めた事、心を頂けた事、一生の誇りです。

今は、これしか言えない。

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