Aug 13, 2012

【原発作業員の肖像】その2ー 地元への想い

ポスト @ 23:59:58 | エッセイ

【初めての一時帰宅】
家を離れた3月12日以降、初めて自宅へと帰ったのは、2週間後の3月25日の事。もちろん、高い放射線量が検出されていた。

泥棒が横行していた。

長靴と、コンビニで買ったレインコートを着たけれど、すぐに捨てた。
ばかばかしい。

そして、こう言い聞かせた。
「ただちに、健康に影響はない」と。

家を離れた時は、着の身着のまま。
地震の片付けもしていない。
ぐちゃぐちゃのままだから、何か盗られたかわからないけれど、でも、確実に泥棒はいた。
不審な他県ナンバーの車や、人影を見た。
もう、無法地帯だった。

検問はやっていたけど、全く無意味だった。
立ち入る必要のない他県ナンバーでも、関係なく通す。

そんな状況の中で、Aさんらは、自警団を組織した。
「自分たちで守らなきゃ、どうするんだ」との思いが、活動へと集約していった。

【広野からF1へ】
震災当時は、原発と無縁の営業系の仕事をしていたAさんは、まず、広野火力発電所(双葉郡双葉町)の復旧作業員として働いた。

広野火力は、震災直後全号機が運転停止となり、構内には広範囲に渡ってがれきが散乱するなど、大きな被害があった。

しかし、同年7月、震災後からわずか4ヶ月で全号機運転を再開するという驚異的な復旧を遂げたのは、作業員の懸命の労働の結果だと、Aさんは語る。

広野では、事故直後から、アメリカ軍が事故調査を始めていたという。

その後、Aさんは、富岡町の、家屋の屋根の修理に従事する。
地震で崩れた屋根から雨漏り等して、家屋が傷まない様に、補修する作業だ。

白い防塵防護服を着て、チーム長だけがアラームのみを所持する。
線量はもちろん、高い。

指定ルートから外れると、逮捕されるというエリアでの作業。

発注元は、東電だ。

実は、Aさんは20代の頃、F1で働いていた事があるという。
しかし、東電の企業体質が嫌になって、辞めた。

今回も東電の理論に、憤りやばかばかしさを感じる事も多々あった。

でも、なぜ、あえてその仕事を選んだのか。
「富岡町が、毎日見えるんですよ」
それだけで、それだけの理由で、自分を納得させての作業だった。

自分の歴史もそこにあるし、先祖代々受け継がれたものを持つ人もいる。

「除染すれば帰れるなんて、ただの夢に逃げているだけ。無理でしょ?どう考えても。どんなに戻りたいと思ったとしても」

状況とは逆に、引き裂かれる様につのる地元への愛着。
「自分達でできる事を、自分達でやるしかない」そう決心した。

そして、2011年12月、収束作業員として、再びF1へと足を踏み入れた。

Trackback

No Trackbacks

Track from Your Website

http://yukayoshimi.com/contents/trackback/tb.php?id=1079
(言及リンクのないトラックバックは無視されます)

Comment

No Comments

Post Your Comment


*は入力必須です。E-Mailは公開されません。