Aug 13, 2012
【原発作業員の肖像】その2ー 地元への想い
【初めての一時帰宅】
家を離れた3月12日以降、初めて自宅へと帰ったのは、2週間後の3月25日の事。もちろん、高い放射線量が検出されていた。
泥棒が横行していた。
長靴と、コンビニで買ったレインコートを着たけれど、すぐに捨てた。
ばかばかしい。
そして、こう言い聞かせた。
「ただちに、健康に影響はない」と。
家を離れた時は、着の身着のまま。
地震の片付けもしていない。
ぐちゃぐちゃのままだから、何か盗られたかわからないけれど、でも、確実に泥棒はいた。
不審な他県ナンバーの車や、人影を見た。
もう、無法地帯だった。
検問はやっていたけど、全く無意味だった。
立ち入る必要のない他県ナンバーでも、関係なく通す。
そんな状況の中で、Aさんらは、自警団を組織した。
「自分たちで守らなきゃ、どうするんだ」との思いが、活動へと集約していった。
【広野からF1へ】
震災当時は、原発と無縁の営業系の仕事をしていたAさんは、まず、広野火力発電所(双葉郡双葉町)の復旧作業員として働いた。
広野火力は、震災直後全号機が運転停止となり、構内には広範囲に渡ってがれきが散乱するなど、大きな被害があった。
しかし、同年7月、震災後からわずか4ヶ月で全号機運転を再開するという驚異的な復旧を遂げたのは、作業員の懸命の労働の結果だと、Aさんは語る。
広野では、事故直後から、アメリカ軍が事故調査を始めていたという。
その後、Aさんは、富岡町の、家屋の屋根の修理に従事する。
地震で崩れた屋根から雨漏り等して、家屋が傷まない様に、補修する作業だ。
白い防塵防護服を着て、チーム長だけがアラームのみを所持する。
線量はもちろん、高い。
指定ルートから外れると、逮捕されるというエリアでの作業。
発注元は、東電だ。
実は、Aさんは20代の頃、F1で働いていた事があるという。
しかし、東電の企業体質が嫌になって、辞めた。
今回も東電の理論に、憤りやばかばかしさを感じる事も多々あった。
でも、なぜ、あえてその仕事を選んだのか。
「富岡町が、毎日見えるんですよ」
それだけで、それだけの理由で、自分を納得させての作業だった。
自分の歴史もそこにあるし、先祖代々受け継がれたものを持つ人もいる。
「除染すれば帰れるなんて、ただの夢に逃げているだけ。無理でしょ?どう考えても。どんなに戻りたいと思ったとしても」
状況とは逆に、引き裂かれる様につのる地元への愛着。
「自分達でできる事を、自分達でやるしかない」そう決心した。
そして、2011年12月、収束作業員として、再びF1へと足を踏み入れた。
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