ジャパンプレスのジャーナリスト 山本美香さんが、取材現場で銃弾に倒れた。

その直前迄、彼女が撮影していた映像が、テレビで繰り返し流される。
突き刺さる様な空気感。
わたしなら、確実に精神的に参ってしまう。

放送局や新聞社が、紛争地や戦場のど真ん中には記者を派遣しないため、「戦争ジャーナリスト」と言われる、彼らの仕事は大変貴重だ。

正直「なんで、わざわざ、そんな場所へいくんだろうね。なんの保証もないのに」という声も聞く。

逆に「そんな場所まで行って、彼らが伝えたいものはなんなんだろう」と、問い直したい。

新聞記者だったお父様が「最後の映像は、彼女の集大成。最後迄ぶれなかった彼女の思いです」と涙をこらえて、答えていらっしゃった。

「ぶれない思い」
「何を伝えたいか」

本当のジャーナリスト、だったんだな、と思う。

取材の現場をどこに設定するか、は、理科か数学かの問題で、
そこで「何を取材するか」が重要な様に思う。

理科をえらんだ人に「理科は重要じゃない。数学の方がもっと社会の役に立つ。数学を好きになりなさい」とは、誰も言えないはずだ。

そこで、何を見るのか。
それがあるからこそ、ジャーナリスト・表現者の仕事をしているんだろう。
そんな思いで出稿されたニュース記事を、おろそかにすることなく、私たちは、プロの声と技術を以て、リスナーに届ける。

彼女の死によって、シリアに今、一番注目が集まってる。
非常に皮肉なことではあるけれども。

今、勤務している現場では、中広域のラジオ局である為、ニュースを編集するとき、正直いうと国際ニュースは後回しにしがちだ。
ニュースの時間は短い。
日本中、世界中から集まるニュースは、膨大な量になる。

限られたニュース時間。
エリアに関係するニュース、身近なニュースを選んでしまう。

何を、どう編集するかは、基本こちらにまかされているものの、
勤務についている時は、冷徹に?ニュースを編集していくものの、その裏側や現場の思いをかんがえると、胸が痛い。

「記者が現場で見たかったものは、なんなんだろう」
「このニュースのキモは、なんなんだろう」

改めて、ニュースの基本を思い出し、山本さんの死を悼む。