京都でAさんの話をきいて、「電気」に対して一つだけ気持ちが変わった事がある。

私は暗いところが苦手で、割と各所、電気をつけるほうだが、こまめに消す様になった。

「これって、Aさんが作業した広野火力でつくられた電気かもしれない」と思ったり。

まるで、野菜は農家に、魚は漁師に感謝するみたいに、
電気も「誰か」が作っているのだ、と思うようになった。

今考えると、当たり前すぎて不思議に思えてくるのだが。

それほど、電気に興味関心がなかったのか。