【再びの一時帰宅】
ここからは、今年の5月下旬、再びAさんが、一時帰宅した時に撮影された映像と共に、話が進められた。

許可された時間は、6時間。
行き帰りは、2時間。
自宅での滞在時間は、たったの4時間と言う事になる。

車を走らせて村内へ入るに連れて、放射線測定器の数値がみるみる上がっていく。

F1の前は、13マイクロシーベルト/毎時。
順に、21、25、29、31と上がっていった。
「おもしろいように跳ね上がるよねー」とで車内で会話が交わされる。
この数値は、郡山の30倍らしい。
そして、京都の300倍だそうだ。

自宅へ到着した時は、0.97マイクロシーベルト/毎時。
去年は、4マイクロシーベルト/毎時だったから、一応下がったと言う事か。

閉めたはずの玄関の扉が開いている。下駄箱も開いている。
にわかには信じ難いが、やはり犯罪はどこにでも存在するようだ。

「廃墟だよ」と呟きながら、家の中へ進む。
冷蔵庫もそのままだから(もちろん通電していない)とんでもなくって、開けられない。どうなっているのか怖いと話す。

足の踏み場もない室内。
マスクと防護服は、着ていない。

庭で、Aさんは、突然草を刈り始めた。
伸び放題の雑草。
そんな事をしても何も足しにならない。
その映像を見ながら「ああいう時って、何をし始めるかわかんないんですよね。自分でも、なぜこうしたのかわかりません」とAさんは笑った。

たった4時間しか滞在が許されない一時帰宅。
食事をとったり、寛いだり、眠ったりする事はできない。
それなのに、どうして帰るのかという問いに
「帰るのは、部屋見たり、町見たりして、ここで生活してたんだな、と確認するだけです。全ては朽ちていくだけですけどね」と、答えてくれた。

【希望】
自殺者の報道も出ている中、Aさんの希望は何ですか?との質問があった。

「精神的に沈むのは、当たり前なんですよ。一時帰宅をすればするほど、虚しさとか、絶望感は増します。とにかく、精神的なケアがほしい。」

「外で遊べない子ども達はもちろん、作業員にも。強い精神力を以て作業にあたっている自分の同志ですが、心のケアが必要です。継続的に心のケアがあること。今の自分の希望です。」

【国に対して】
最後に、私も質問した。
「今、東電に対して、国に対して、一番言いたいことはどんなことですか?」

Aさんは、静かに語り始めた。

「今、20キロ圏内の作業で手一杯なんです。毎日、毎日いろんな事を考えてます。原発事故のせいで、こんな思いをさせられたけど、今迄、経済を牛耳ってきた大きな流れの中でこうなってる。

このエリアに住んでいる人間は、巨大な力が働いているのを、嫌と言うほど見ている。正直、ああまたか、と言う思い。

どんなに力を出しても、国は変わらない。

人が住めない地域、国土からぽっかり20キロ圏内がなくなっても、なんとも思わないんですよ。」

そして、よく日に灼けた口元を歪ませて、声を殺した嗚咽の向こうから、「悔しいです」と絞り出す様に言った。

被災地では、絶対にみせないという、涙。
その男気から、多くの人に慕われ、頼られ、思いを背負っている。

「ここは安全な場所。本当は20キロ圏内で活動したい」とAさんは話した。そこは、仲間がいる場所。人生が詰まった場所。

【本当に変えなきゃいけないもの】
最後に、小原カメラマンが、言葉を合わせてくれた。
「原子力から自然エネルギーにシフトしたって、根本は何も変わっちゃいないんです。
こんな社会をつくってきた大人の責任として、子ども達に何を提供してあげられるか。建設的に進めていきたい。」