今日は、泣かないと決めていたから。
Aさんが、こらえながら、耐えながら、最後まできっちり思いを語ってくれたから、私も唇を噛み締めて我慢した。
本当は、許されるのなら、声をあげて泣きたかった。
どんなレポートや記事より、生々しく大きな衝撃だった。
人生全てを一瞬にして奪われた彼らのことを理解するなんて、到底無理な話だ。
でも、実感として一歩近づく事ができたかもしれない。
ほんのすこしだけ。
「東京でも、話してくれませんか?」そう問いかけた事に、Aさん、小原さん共に「NO」だった。
訳をきいた。
頭を殴られた様な衝撃だった。
震災以降、東京でつらい思いをたくさんしてきた。
聞くだけで、ひどい話だった。
それを思うと、「反原発って、結局は自分のところに被害が及ぶから反対してるだけじゃないですか」との声に、私は何にも反論できなかった。
福島の事を、真剣に知ろうとしているか。
福島の事を、真剣に考えようとしているか。
上辺だけの言葉は要らないと、突きつけられた。
東京のメディアに取材を受けた時の事を話してくれた。
ストーリー通りに要求され、思惑通りに編集される。
メディアは、被災地の声を伝えていないのではなく、被災地の声さえもエンターテイメントにしようとしていたのだ。
東京へと帰る新幹線の中で、身体が震えてきた。
身体の中に黒いコールタールが詰まったようだった。
自分には、帰る場所がある。
でも彼らには、変える場所も、逃げる場所もない。
彼らは、ヒーローなんかではなかった。特別な人たちでもなかった。
国家や東電など大きな権力に対する絶望感、諦め。
そして、日常生活全てが詰まった、地元への大きな愛着。
「自分たちで、できることをやるしかない」と。
目の前の事に、自分たちで対処しようという、その思いだけだ。
全てを一瞬にして奪われた人たちの前には、全てが虚しく、ハリボテのような世界に思えてくる。
これほど、私を変えたのは、生のことばだから。
一人でも多くの人に、直接、聞いてもらいたい。
でも私でさえも、この日見た事、聞いた事はわかってもらえる人にしか話たくない、と思ったのだ。
当人ならなおさらだろう。
でも、私はAさんに話してもらいたい。
私自身、もっと聞きたい。
もっと知りたい。
圧倒的な絶望感を前に、なにもできない。
でも、知る事が重要だ。
そして、彼らをひとりぼっちにしないこと。
これだけが、今の自分にできること。
Aさん、とにかく、とにかくお身体だけは、大事にしてください。