「それ、きれいね」
友人の視線が、指先に止まった。

小さなダイアモンドが入ったゴールドの指輪。
母校のカレッジリングだ。

石(貴石、半貴石)が好きな私は、何かしら小さなものを身に着けているのだが、
考えてみれば、宝石の類いを人から頂いた事は、ほとんどない。
現在手元にあるものに限定して言えば、全く、だ。

婚約指輪や結婚指輪なるものも、丁重にお断りした。

優先順位第一位を外せない指輪がある、と。
それが、その指輪。
神戸女学院のカレッジリングだ。

といっても、学生の時に買ったのではなく、京都放送をやめ、フリーになるタイミングに買ったものだ。

女学院の校章に、私の誕生石であるダイアモンドがあしらわれたデザイン。

薬指のサイズであわせている為、結婚指輪も婚約指輪もする場所がない。

貴石は(特にダイアモンドは)、持ち主の厄災を吸収するという。
石には不思議なチカラがあって、そのチカラを以て、災いを吸収したあと、ふっと姿を消す事がある、なんて言われている。

実は、この話を信じざるをえない様な不思議な経験をした。
カレッジリングは、購入して以来、肌身離さず、ずーっと身につけてきた。

ある時、人生最大のトラブルが起きた。
対処に必死で、指輪を気にしている余裕がなかった。
ある時、外出しようとした際、ふっと思い出し、いつもの置き場をみると、指輪がない。
なくしたら嫌なので、必ずここに置いていたのに。
絶対、ここでしか外していないのに。

探しても、探しても出て来なかった。
家中、ひっくり返す様にして、すみずみまで探したのに。
落胆が大きく、早く忘れて、そんなものは初めからなかった事にしてしまおう位の気持ちでいた。

ところが、ある日。
そのトラブルも解決の兆しが見えた頃、気がつけば、足下にゴールドに光る指輪があった。
私のカレッジリングだ。

おかしい。
何十回も探した。猫でもいればくわえてここに置いておいたのかな、なんて思うが、全くそんな同居人はいない。

おかしい。
どう考えてもおかしい。

まあ、とにかく大切な指輪が戻ってきた事が嬉しくて、とにかく良かった、と思っていた。

後日、「持ち主と気のあった貴石は、トラブルが起こると身代わりになってくれて、全部チカラを使い果たしたら、姿を消す。そして回復すると、また戻ってくる」なんて話を聞いた。

トラブルも、思い返せば大変だったけれど、きれいに着地した。
指輪がチカラを貸してくれなかったら、とんでもないダメージがあったかもしれない。再起不能だったかも。

浮気はせず、この指輪と一生過ごして行く事を決めた。

それから、指輪を休ませる時以外は、常に一緒。
どんな時も同じ空気を吸ってきた。

死んだら、持って行くか、大切な人に引き継いでもらいたい。
もう身体の一部。絶対に手放せない。

こんな話を思い出したのは、今日、ちょっとしたお守りを買いに行ったから。
離れていても、あなたのことを大切におもっている友人として、なにかしらの思いを届けたい。
一生を共にする貴石ほどでなはないけれど、常に「思い」があなたを守っています様に。

そんな気持ちを届けたいな、と思う。

私の「思い」が「祈り」が、あなたをいつも守ってくれます様に。
小さな願いが、届きます様に。